アーティスト、またプロデューサーとして八面六臂の活躍をみせる藤木大地。そのダイナミックな仕事ぶりには驚かされるばかりだが、数多い名演のなかでもカウンターテナー歌手としてとくに強烈な印象を残したステージが2つある。ひとつは昨年9月に新国立劇場で上演されたオペラ《ジュリオ・チェーザレ》、そして直後の11月に行われた横浜みなとみらいホールリニューアルオープン公演でのマーラー「リュッケルトの詩による5つの歌曲」。前者では主人公の敵役トロメーオを全身フルに使っての表情豊かな演技(ときにユーモアさえ漂う)と高度な技術に驚嘆した。バロックオペラ特有のメリスマ唱法(急速な音階を駆使する至難なテクニック)を聴かせ、ヘンデルのオペラの魅力を最大限に引き出した。藤木の演劇的才能については、同じく新国立劇場での渋谷慶一郎のオペラ《スーパーエンジェル》で、AI搭載のアンドロイドを相手に演じた、感受性豊かな少年アキラ役(人気アニメ「エヴァンゲリオン」の碇シンジを彷彿とさせる)でも見事に発揮され、多くの客層にその類まれな才能をアピールした。けれども前記トロメーオ役はそれをはるかに上回る名演だったと思う。今日のプログラムでもその雰囲気が伝わるはずだ。
一方のマーラー。井上道義率いるNHK交響楽団をバックに豊かな音量とアルトのしっとりとして品格あるトーン、歌詞への深い共感も相まってカウンターテナーとマーラーの相性の良さを認識させるものだけでなく、色彩感に富むオーケストラから浮彫になるその妙(たえ)なる響きはまさに稀有な体験だった。
今回のステージは藤木大地と彼が信頼している器楽奏者の名手5人(なんと豪華な顔ぶれだろう!)との共演。ヴィヴァルディやヘンデルのバロックオペラのアリアから、サラ・ブライトマンが歌って世界的にヒットした「ネッラ・ファンタジア」、喜歌劇《こうもり》の異色キャラ、オルロフスキー侯爵(通常は女性が“男役”に扮する)のナンバー、さらには現代の日本のうたまで、時空を超え心にとどく色とりどりの名旋律を集めている。演目の歌詞をふくめ考えてみるに、筆者にはどの曲も生命(いのち)への愛と慈しみ、そして笑いがテーマとなっているように思える。これはいまの私たちが必要としているものではないだろうか。父性性と母性性を併せ持つ温かな彼の奇跡のような声音は、社会と自然をも柔らかく包み込むようだ。絶えることなく続く戦争や環境破壊ですさんだ我々の心を安らげ、明るく穏やかにしてくれる。となれば、イタリアのオペラハウスを思わせる高い天井の広々とした空間、それでいて肌理こまやかな音響が交錯する、よこすか芸術劇場は彼の資質には理想の場ともいえる。
前半と後半の開始には器楽アンサンブルのみでドヴォルザークとブラームスのピアノ五重奏曲(抜粋)が置かれている。理想的な顔ぶれだけにプログラムを盛り上げる名演になること請け合いだ。この「藤木大地&みなとみらいクインテット」は彼の本拠地である横浜とこれまでに全5都市のホールで公演を行ない多くの聴衆を魅了した。本日も同じだろう。美しい声と器楽の共演を楽しみたい。
城間 勉(音楽ライター)