2006年、横須賀市制100周年を記念して、横須賀市民である国際的ピアニストで教育者の野島稔を審査委員長に迎えて創設された「野島 稔・よこすかピアノコンクール」。2年ごとの開催で、今年で第9回。当初の予定では2020年に第8回が開催予定だったが、コロナ禍の影響で中止となった。この年はコンクール参加の申し込みも多く、中には実績を積んだコンテスタントもいたと聞き、開催の中止は本当に残念だった。
その第8回以前の顔ぶれだが、当時は初々しい学生だった入賞・入選者たちも、その後は国際コンクールへ躍進や、今や次世代を担う立派なピアニスト・教育者になっている。佐藤彦大(第1回・第1位)、沼沢淑音(同・第3位)、入江一雄(第2回・入選)、惠藤幸子(第4回・入選)などは、野島と同じモスクワ音楽院へ留学。濵野与志男(第2回・第2位)はイギリスとロシアで研鑚を積み、現在はロシア語通訳・翻訳の分野でも活躍している。居福健太郎(第1回・入選)、宮崎翔太(第2回・入選)、大伏啓太(第2回・入選)、吉武 優(第3回・入選)、高橋優介(第4回・入選)らは室内楽で信頼の厚いピアニストとして引く手あまた。野上真梨子(第5回・第1位)、鶴澤 奏(第6回・第1位)、小井土文哉(同・入選)、佐川和冴(同・入選)、竹澤勇人(同・入選)、横山瑠佳(同・入選)、安並貴史(第7回・第1位)、伊舟城歩生(同・第2位)などは、日本音楽コンクールや著名国際コンクールで優勝・入賞を果たし、現在は海外を拠点に活躍している人もいる。
ここに名前をあげた他、各回の予選進出者の中にも逸材がいて、それも回を重ねるごとにレヴェルが上がっているため、コンクールが始まると“横須賀通い”がやめられないのだ。
その“レヴェル”に関してだが、コンクールの記事でよく使われる「ハイレヴェルな戦い」という表現は、誤解を恐れずに言うと「バリバリ弾く=テクニック先行」というイメージがある。コンテスタントが聴き映え・見栄えを意識してか、超絶技巧な作品の頻発によって“レヴェル”云々と言われてしまうが、「ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、そう簡単にはいかない」と言うのが審査委員長の野島である。
当コンクールの特長の一つが課題曲で、野島は当初からベートーヴェンのピアノ・ソナタに拘っていた。「ベートーヴェンのピアノ・ソナタだけのラウンドを持つコンクールは、世界的にも珍しいと思います。第2次予選では1曲を全楽章、繰り返しも省かず弾いて頂きますが、その人の資質など全てがあらわになるので、これはプロとしてやっていくうえで良い経験になるのではないでしょうか」。
そして今回の第9回。108名が第1次予選(5/16~18 ショパンと他作曲家の練習曲)に出場し、25名が第2次予選(5/19、20)へ。今回注目していたのが4名の高校生。うち2名が第2次予選の初日(5/19)に進み、中でも最年少の朴 沙彩(桐朋女子高等学校音楽科1年)は逸材と言える。翌日は実力伯仲の激戦で、野島イズムの浸透を実感した名演に次ぐ名演のベートーヴェンのピアノ・ソナタ。
結果、初日からは北原義嗣のみ、2日目の12名の中から石坂 奏、本堂竣哉、稲積陽菜、荒川浩毅、清水陽介、橋本崚平、森永冬香の計8名が本選(5/22 自由選曲35~40分)へ。いずれも堂々と、また新鮮な解釈には感心させられるソナタの余韻のあと、本選では各々の個性が全開に。
以下、順位ごとに。第1位・本堂竣哉(東京藝大1年)は2次での強烈な魅力(正統的かつデモーニッシュなベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第28番」)が忘れ難く、本選ではバッハ「ゴルトベルク変奏曲」で会場を魅了した。変奏ごとに集中度が増し、斬新な解釈ながら「ピアノの正しい弾き方」が完璧。そして10代独特の無尽蔵な伸びしろには圧倒された。「バッハ以前の作品や現代音楽にも興味がある」と言う、奥底の未開の部分に期待大である。
「最も近しい存在の作曲家」と言うショパンの「バラード第4番」と「ピアノ・ソナタ第3番」を弾いた第2位・橋本崚平(東京藝大4年)。やはり2次でのベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第31番」は質の高い内容で、それがショパンでは自由度が増し、透明な音色も印象深かった。
第3位・北原義嗣(国立音大大学院2年)は論文のテーマだと言うシューマン「フモレスケ」と、メシアン「喜びの聖霊のまなざし」。優しい楽想ながら高度な表現力を要す「フモレスケ」を、好バランスの感性・知性で創り上げた。そして相反するようなメシアンとのコントラストは見事。
今回から聴衆賞が新設され、第2次予選と本選の同賞を荒川浩毅(東京藝大3年)が独占。荒川もまたベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第18番」が秀逸で、本選でのドビュッシーとムソルグスキーでの革新的な創りは頼もしかった。
等々、野島に聴かせたい名演ばかりだった今回。急逝が残念でならないが、「当コンクールを目指して来た」若手の多さに、野島イズムここに在りを感じ入った。